マルガレーテシュタイフの生涯

シュタイフ

みなさま、こんにちは!こんばんは♪
ラブシュタイフの吉川です。
 
今回はシュタイフの創業者である「マルガレーテ・シュタイフ」をご紹介します。
彼女は小児麻痺と言う障害を一生かかえていたにもかかわらず、いかにしてシュタイフ社を設立したのか。
どのようにしてシュタイフのテディベアは誕生したのか。
ぜひ最後までお読みいただけましたらうれしいです(^^)

1847年:マルガレーテシュタイフ生誕

マルガレーテシュタイフマルガレーテ・シュタイフは、1847年(江戸後期)7月24日にドイツのギンゲンという小さな町でシュタイフ家の3女として生まれました。
彼女は1歳半の時に小児麻痺にかかり、生涯車椅子での生活を余儀なくされます。
しかし母は彼女が自立できるようにと編物や洋裁を厳しく教え込みました。持ち前の明るさと辛抱強さで努力したマルガレーテは、リハビリを根気よく行って洋裁学校を卒業します。
その後、姉たちの洋裁仕事を手伝うようになります。

ちょっと小話:その1

アンティークミシン洋裁を始めたころのマルガレーテには、彼女の性格を彷彿とさせるこんな話があります。
ミシンは健常者用につくられていたため、小児麻痺で右手と両足が不自由だった彼女には使うことができませんでした。
そこでマルガレーテはミシンを反対向きに置いて、自分でも使用できる左利き用にしました。
この話からもマルガレーテが卑屈にならない耀心の持ち主だったことがうかがえます♪

1887年:会社設立

裁縫姉たちと一緒に経営していた洋裁店は、仕事が早く丁寧で街でも評判で人気でした。
そんな中、障害を乗り越えたマルガレーテの腕に注目したフェルトメーカー「ハンス・ヘーレン社」がフェルト生地のペチコート制作を彼女に依頼。
ドレスや子供服、テーブルクロスなどの日用雑貨などの制作と販売をはじめてこれが軌道に乗り、1877年30歳の時に「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」を設立。
これまでのマルガレーテが培った人間関係や努力が結ばれた結果でした。

1880年:フェルトのゾウ

シュタイフフェルトの像の針刺し高品質の素材と丁寧な仕事で評判を呼び、彼女の会社はすぐに成功を収めました。1880年には、雑誌のイラストを元にフェルトでゾウのぬいぐるみを作り、甥や姪、従業員の子供たちにプレゼントをそいました。
※ぬいぐるみが初めてつくられたこの年は、シュタイフの創業年とされています。

1893年:会社名の変更

ゾウのぬいぐるみは、その後評判になりラバやブタ、馬やラクダなどの仲間が生まれ人気を博しました。
ぬいぐるみを手にした子供たちが喜ぶ姿を見て、マルガレーテは「子どもたちには最高のものを」という想いが強くなります。そして彼女は会社名を「フェルト・トイ・カンパニー」に変更しぬいぐるみをつくる専門の会社が誕生しました。
シュタイフの動物たち

1902年:テディベアの誕生

シュタイフテディベア55PBとリチャードシュタイフマルガレーテの甥であるリチャードが、日頃から考えていた本物のようなクマのぬいぐるみ制作の提案をします。
このクマのぬいぐるみは、手腕足が動くファイブジョイントとなっており、毛並みにも最高級のふらし天を使用するなど、リチャードのこだわりが詰まったすばらしい作品になりました。これが世界で初めてのテディベアといわれる「55PB」です。

1903年:テディベアの評価

シュタイフ初のテディベア55PBレプリカリチャードは、1903年にライプチヒで行われた見本市にこのクマのぬいぐるみ「55PB」を出品しました。
しかし期待とは裏腹にこの出品が酷評を受けてしまいます。仕方なくライプチヒを後にしようとしたリチャードに、ひとりのアメリカ人バイヤーが「これこそが子どもたちが求めているぬいぐるみです。3,000体注文します」と声をかけます!
これがきっかけとなりテディベアの量産と改良を始め、本格的な作品の開発が始まっていきました。

ちょっと小話:その2

テディベアの由来・語源クマのぬいぐるみは、どうして「テディベア」と呼ばれるのでしょうか。それには所説あるのですが最も有名なのがアメリカ26代大統領「セオドア・ルーズベルト」が、狩りに出た際に瀕死の小熊を撃つの拒否した説です。
このことが美談としてワシントンポストに掲載され、それをヒントにアメリカのお菓子屋さんがクマのぬいぐるみをつくりました。その後ルーズベルト大統領の相性「テディ」を用いてそのぬいぐるみを「テディベア」と呼んだことがはじまりといわれています。

1904年:ボタン・イン・イヤーのはじまり

シュタイフのボタンインイヤーぬいぐるみが世界の子どもたちに愛され始めてきた一方、シュタイフを真似た粗悪品が後を絶たなくなりました。そこで甥のフランツが、テディベアの左耳にボタンを付けることを思いつきます。これがシュタイフ社製品の証であり今も継承されている「ボタン・イン・イヤー」のはじまりとなりました。

1906年:シュタイフ社の誕生

シュタイフの工場「子どもたちへ最高のものを」という理念のもと世の中に愛されるぬいぐるみを提供してきた「フェルト・トイ・カンパニー」はその名称を「マルガレーテ・シュタイフ社(現在のシュタイフ社)」に変更しました。

1909年:マルガレーテ逝去

たくさんの人びとに愛を与えてきたマルガレーテ・シュタイフでしたが1909年に逝去しました。
従業員たちに広く心を配り、悩みに耳を傾け続けた彼女の61年の人生は、愛にあふれたものでした。
障害を持つ人にも仕事を与えたり、女性従業員には会社に子どもをつれてくることを許可したりするなど当時では珍しい取り組みをしていたといわれてます。
その後も彼女の精神は、従業員たちへ継承され現在のシュタイフ社に確実に受け継がれています。
マルガレーテシュタイフの生涯